勉強は才能か、それとも努力か? 京大に入って感じた3つのこと

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勉強は才能か、それとも努力か?という議論を見かけることがあります。雑誌でこの議論をしている記事を見たり、高校生がマクドで話していたりすると、面白くてつい聞き耳を立ててしまいます。

それぞれの言い分はだいたいこうですね。

 

勉強は才能 派

勉強にはいわゆる地頭(ぢあたま)が必要で、それを持っている人ができる

普通の人は暗記力とか計算力に限界があるけど、天才にはそれができる

 

勉強は努力 派

勉強はやればやるだけできるようになる

頭が悪いのは本人の責任

 

僕は、中学、高校とずっと「勉強は努力でどうにでもなる派」でした。ところがどっこい、最近は少し考え方が変わってきたような…

 

というわけで、僕なりの『勉強は 努力か、それとも才能か』について考えてみたことを書いてみました。あなたはどっち派か、読み終わってから考えてみてください。

 

 

京都大学に合格するくらいなら、凡人にもできる

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まず、言っておきたいことは、「京都大学に合格するくらいなら凡人にでもできる」ということ。日本で2番目くらいに入るのが難しい大学を「くらい」というのはアレですけど…

このいい例は、僕ですね。このプロフィールを読んでもらうとわかりますが、僕は本当に凡人代表みたいな、どこにでもいる普通のやつでした。自分で言ってて悲しくなる…

 

 

最初に勘違いしないで欲しいのは、中学の定期テストとか、大学入試とかにおいて「天才」だの「才能」を語るのはナンセンスってことです。

 

このレベルは、本当に努力でなんとかならないレベルではないと思います。なんども言ってるように、ソースは僕。

 

1つ言わせてもらえるとするならば、「勉強は才能」って言っている人の中には、「凡人がどれだけ努力したか」をわかってない人が多いと思います。だって、

 

・勉強のしすぎで鼻血が出た
・文字の書きすぎで腱鞘炎になった

 

りしたことが割とあるあるなくらいの努力をしてなお「勉強は才能だ!」って言っている人を僕はみたことがありません。

まあ、「努力できる才能」とか言われてしまったらそれまでなんだけど…

 

 

努力だけでは説明できない才能もある

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と、ここまでは ”勉強は努力派” で通してきた僕ですが、京大に入学してこの考えが多少なりとも変わりました。というのも、「本物の天才」に会ったからです。

 

彼は、見たものはすぐに暗記できるし、計算式とかパパッと解いてしまうし、授業を聞いていて ”ん?” と思うことは無いという、なんとも羨ましい人物でした。

 

ただ、僕は「勉強は努力」派の人間だったので、彼はきっと裏で血の滲むような努力をしている(もしくはしていた)のだろうと思っていましたが、なんと本当にしてなかった…多分。

彼は英語で書かれた論文をスラスラ読み、それをいともたやすく理解するのに対して、僕はといえば辞書を引いて、たどたどしく日本語に直し、日本語に直した文章に “????”となりながら悪戦苦闘する。

 

京大に入って、こんな人を初めて見たのです。”神に愛された”としか形容し得ないような才能というやつを。

まさに、「生き物の種類が違う…」… そんな感じでした。

 

彼は本当に1万人に1人いるかいないかという人だと思いますが、見つけてしまってはもう”勉強は努力だ!” と声を大にしていうことはできなくなってしまったのです。

実際に、サヴァン症候群や瞬間記憶能力などある程度才能というか、勉強において先天的なものというのは事例として確認されています。

 

ただ、じゃあやっぱり京大に入るのには才能が必要か?といえばそんなことは決してありません。彼のような人は同じ学年に多くても100人。対して京大の合格者は1年で3000人ほど。だから京大合格まではまず間違いなく努力でなんとかなります。

 

ソースは僕(3回目…)

 

本物の天才と、”雰囲気” 天才とは圧倒的な差がある。が、見た目は一緒

多分、多くの人が思い違いをしているなと思う点は、ここだと思います。

 

モノホンの天才と、勉強ができるようになった人というのは、外からみると大して見分けがつかないのです。だから、”一部の本物の天才”(テレビのクイズ王とか)を見て、それを”自分の周りの人”(クラスの一番上の人)とかにも当てはめてしまうのです。

でも、少し冷静に考えて見てください。マジでヤバイ天才はあなたの周りにいるでしょうか?そして、その天才たちは努力を全然していないでしょうか?

 

どこまでが才能で、どこまでが努力だというのは非常に線引きしにくいです。実際、はっきりした境界みたいなものはないんだと思っています。

 

ですが、みんなが思い描くような、「勉強を全然しなくてもなんでもできるような天才」って、実はほんの、ほんの一握りの人たちなんです。だから、それを見て “天才” と一括りにしてしまうとどうしても視野が狭くなってしまいます。

 

 

伝えたいことは1つだけ

付け加えて、「勉強は才能か努力か」という議論において、僕にはっきり言えることが1つ。

それは、

勉強は才能がものをいう、という言葉を”努力をしない逃げ道” として使わないで欲しい。

ということです。

 

つまり、「あいつは天才だから…」と諦めてしまうのは勿体無いということ。もしかしたら、あなたが必死に努力したら追いつけるかもしれないのに、その機会を逃してしまうことはあなたの人生にとってマイナスでしかないです。

 

そして、もし圧倒的な才能に出会ったとしたら、「ラッキー」と思いましょう。本当にラッキーです。そんな人、一緒にいてワクワクしないわけがありません。毎日楽しくなること間違いなしですよ!

 

 

最後に

少し厳しい言葉でまとめてしまったかもしれませんが、要は最後に書いたことが全てだと思っています。

勉強は才能か、努力かということは僕にはまだよくわからない部分がたくさんあります。「才能」だけでは決してやっていくことはできないと思いますが、”努力” だけでは到達し得ないような高みを見てしまったことも実際にはなんどもあります。

 

しかし、それらは全て僕自身が勉強を諦める理由にはならないということです。僕は僕なりのやり方で、新しいものを学び、それを使っていくことが大事だと思っています。

 

あなたはどうでしょうか?一人一人に聞いてみたい気持ちになりますね。

 

 

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2 件のコメント

  • 私は勉強が全く出来ませんでしたね
    高校時代に進級の問題があったので勉強しただけです
    どう努力してもそれが限界でした
    努力家が大学で息切れする話も聞きます
    世の中とんでもない天才はいます

  • みんな気がついていないだけで天才なんですよ。

    勉強していなければ秀才ではないと言えますが、
    今は天才ではないから、これからも天才ではないとは限りませんよ。
    自分なりの世界に対するプロトコルがあるでしょう。