東京大学の卒業生は一般的に官僚・弁護士になったり、研究者として活躍していたりとなんとなく想像がつきます。しかし、京大の卒業生ってなかなかイメージしづらいのが現状です。
そこで、京大の著名な卒業生や、歴史に名を残した京大出身の偉人をまとめてみました!
(写真は注釈がない限りはWikipediaから引用しています。)
目次 (クリックでジャンプ)
京都大学を卒業した有名な芸能人
まずは、京大を卒業した著名な芸能人をご紹介します。
京大卒芸人として売り出している人もいれば、「え、この人も京大卒なの?」と思うような人までたくさん紹介したいと思います!
宇治原 史規
お笑い芸人。ロザンのツッコミ担当。1995年に京都大学法学部に現役合格し、その後留年、休学を経て2004年の月に卒業しました。
なんと受験生時代には京大模試で全国第2位をとったこともある、いわゆる神童であったらしく、受験生の時に通っていた代ゼミからは授業・模試を全て無料で受けられるゴールドカードを渡されていたそうです。
卒業後は、お笑いの道に進み、クイズ番組で活躍が目立ちます。『平成教育委員会』や『Qさま』などで優勝経験を持ちます。
テレビでクイズ番組ばっかし出ているので、本当に勉強できるのかと思ったらビックリです。ちなみに、センター試験の時は自分のわからない問題が出たことで失神してしまったというアクシデントに見舞われたそうです。
また、一度クイズの回答でボケたところ、観客から「本当に間違えた」と思われ、以降それがトラウマになりふざけられないというエピソードを持ちます。
辰巳 琢郎
1958年8月6日生まれの俳優、タレント。京都大学の文学部卒業。
大学在学中には卒塔婆小町という劇団を主催し、初代座長に就任している。(2代目という説も。当時の芸名は「つみつくろう」)知的で端正な二枚目俳優という個性を生かした役を演じることが多い。
役者としての顔ぶれのほか、タレントとしてよくクイズ番組にも数多く出演していて、芸能界のクイズ王の異名をもつ.。
卒塔婆小町という劇団には、天瀬勝久さん、川下大洋さんも劇団員として所属していたそうです。また、辰巳琢郎さんは無類のワイン好きで、日本ソムリエ協会の名誉ソムリエとしての顔も持っています。
山西 惇
東大寺学園から京都大学工学部石油化学科へ入学する。
辰巳琢郎さんの作った劇団そとばこまちに1回生の時から所属し、活躍する。卒業後も趣味の延長として終業後や休日を使って劇団で役者、演出をしていたが、その後会社を退職し芝居に専念するようになる。
山西さんは、何と言っても
『相棒』シリーズの課長・角田六郎役が印象的ですよね。山西という名字は、顔が似ているという理由で2年先輩の山西さんから拝借していたものらしいです。
ヒャダイン (前山田 健一)
ミュージシャン、音楽プロデューサ、作曲家、編曲家などの肩書きを持つ。大阪星光学院から京都大学総合人間学部に入学、卒業している。
大学卒業後に、趣味で出会った「ニコニコ動画」で口コミやSNSを介して一躍有名になり、作曲家、編曲家としてのキャリアを歩み始めることになる。
ヒャダインとは、ドラゴンクエストの呪文の一つですが、強いけど使いようのない呪文の「不遇感」が好きで名前を使うようになったとコメントしています。
松尾依里佳
日本のヴァイオリニスト、タレント。四條畷高校から京都大学法学部に進学、卒業している。
4才の頃からヴァイオリンを始め、中学校の頃からプロになることを夢見ていたそうです。2006年のフジテレビにて放送されていたドラマ、「のだめカンタービレ」では、のだめオーケストラの団員を務めるなど、タレントとしても活動しています。
クイズ番組への出演も多く、「Qさま」では準レギュラー回答者として活躍を見せていました。探偵ナイトスクープでは、3代目の秘書を務めていましたが、第1子出産のため、2017年12月で番組を降板することとなっています。
テレビで見かける印象ではタレントさんなのですが、ヴァイオリンの腕前はさすがプロという感じです。2009年から続けられている、オフィシャルブログ 「えりかの♯な毎日♪」では、日々の活動の様子などを見ることができます。
京大卒の政治・経済人
続いては、京大卒の財政会の大物をご紹介していきたいと思います。
東大と比べて京大はこの「政治・経済」に大物がいないという印象がある人も多いようなのですが、そんなことはなくてすっごい人がたくさんいるので、ぜひ注目してみてください!
川上 量生(かわかみ のぶお)
初代株式会社ドワンゴ代表取締役社長、初代会長、現カドカワの代表取締役会長および第2代社長などを歴任しました。京都大学の工学部出身です。
ドワンゴは当時はオンラインゲーム専用のゲーム会社でしたが、携帯電話の着メロなどの関連事業で大きく成長し、東証一部上場を果たすまでになりました。
何よりすごいなと思ったのは、ドワンゴの会長のままスタジオジブリに入社し、見習いのためにジブリでは”無給”で働いているということです。風立ちぬ、思い出のマーニーなど、プロデューサ見習いとしての活躍も年を経て経験を積まれたかと思うのでいつか彼の作品を見てみたいものです。
近藤 淳也
ご存知、はてなの創始者の近藤 淳也氏です。京都大学理学部で地球物理を専攻したのち、測地学研究室に入りました。そこからベンチャーキャピタルを周り、京都で有限会社はてなを立ち上げました。一時は本社を米国のシリコンバレーに移しましたが、Hatena .Inc を残したまま近藤社長自身は日本に帰国し活動を行っています。
京都大学の起業家として最近有名なのはやはりはてなの近藤さんだと思います。2016年にはてなは東証一部上場を果たしました。最近ではリノベーション済み物件などを紹介するサービス、「物件ファン」などを扱うOND(おんど)という会社を設立し、さらなる事業拡大に力を注いでいます。
マック赤坂
この人についてはなんと紹介したらいいのやら…一応
政治活動家、実業家、セラピスト。一浪の末、京都大学農学部に入学、卒業。その後伊藤忠商事に入社。マックコーポレーションという、レアアースの輸入会社を立ち上げる。
何と言ってもスマイルセラピーという、マック赤坂自身が考案したスマイル両方なるものを広めていることで知られる。彼自身が一般財団法人スマイルセラピー協会会長として全国で講演活動を行っていて、老人介護施設等でボランティア活動も実施されている。
東京都知事選挙や大阪市長選挙などに立候補していることで名前が知られていますね。マック赤坂のマックは、本名の誠から、赤坂は好きな地名の東京・赤坂から名付けたそうです。東京大学のイメージが強かったのですが、京大出身なのは意外でした。
前原 誠司
1962年4月30日生まれ。日本の党所属の衆議院議員(9期)。
中学生の時に父親を自殺で無くし、母子家庭で奨学金を受けながら1浪の末、京都大学法学部に進学しました。
法学部では学費や生活費などの捻出のために寝る間を惜しんでバイトをし、高坂正堯という人の元で国際政治を学んだそうです。その後、松下政経塾という、あの松下幸之助が設立した政治塾に入塾し、そこから政治家の道を進むことになりました。
京都大学出身者の中で、数少ない政治界に進出した有名人です。座右の銘は「至誠 天命に生きる」だったり、国会議員の中では最もSLが好きと言われているなど面白い逸話があります。
また、プライベートではコテコテの京都弁を話すらしいです。
京大卒の文化人・研究者
京大の強いところといえば、ズバリ「研究の土壌が整っている」ことでしょう。
ノーベル賞受賞者も多く、基礎研究に関しても他の大学の追随を許さないと言っても過言ではありません。
文化人・研究者もみんなが知っているような人がゴロゴロ出てきます。
鳥越 俊太郎
日本のテレビタレント、ジャーナリスト。京都大学の文学部(国史学専攻)卒業。
日本記者クラブ賞や第41回ギャラクシー賞報道活動部門大賞などジャーナリストとして素晴らしい成績を収めていますが、本人は「ジャーナリスト」と呼ばれることを嫌い、「ニュースの職人」を名乗っているそうです。また、テレビやCMにも数多く出演し、「ジャーナリストのくせに」と非難されることがしょっちゅうありました。
東京都知事選への出馬がかなり記憶に新しいのではないでしょうか?2009年にガンガ発見されて以降、自身も癌と戦いながら、NPO法人『がん患者団体支援機構』の3代目理事長も務めていました。
鷲田清一
日本の哲学者。関西大学文学部の教授や、大阪大学総長などを歴任した。
京都大学の文学部哲学科を卒業し、同大学の博士課程まで進み、単位取得退学した。その後関西大学をはじめとする数多くの大学で教鞭を執っている。
専攻は臨床哲学・倫理学を、特に現象学を専門としていて、ファッションの研究もしている。そのためか三宅一生や山本耀司などのファッションデザイナーと交流がある。
哲学家としての鷲田は、身体は自分がどのように確認するかということにおいて、その感情や情報を自身で確認することができないので、自分の「身体」は「像(イメージ)」によってでしか認知をできないという主張をとっています。(詳しくは著書をお読みください!)
受験生なら論説文で一度はお目にかかったことがあると思います。それくらい”頻出”です。また、2015年の4月より朝日新聞一面の「折々のことば」を連載していたことでも有名ですね。
著書も多く、教育出版の高等学校の倫理の教科書を執筆するなど目にする機会も多いかと思います。
森見登美彦
日本の小説家。京都大学農学部生物機能科学科応用生命科学コースを卒業し、同学科の修士課程も修了している。学生時代はライフル射撃部に所属していた。
2003年に執筆していた『太陽の塔』が第15回ファンタジーノベル大賞を受賞し、小説家デビューを決める。作品の多くは京都大学を舞台にしており、「京大生の浮世離れした生活をリアルに描くと、普通の読者にはそれがファンタジーに見える」と言う独特な作風を持つ。ちなみに、万城目学の『鴨川ホルモー』と並んでこれらの作品群は京大小説とも言われている。(万城目学氏も京都大学の卒業生)
少し前の世代だと、京大出身の作家といえば”平野啓一郎”氏の名が上がったのかもしれませんが、近年では森見登美彦の名前が上がるようになりましたね。
乙女に恋しているけど、話す勇気もそこからのドラマもない男子大学生は男女問わず大人気。彼の描く京大生はどこまでがリアルなんだろうと京大に入るまでは思っていましたが、まさにそのまんまでした…
彼の小説が好きな人は、京大の学祭とか、深夜の先斗町とか、下鴨神社とかにくると、「オォッ」て感じになると思いますよ!
綾辻行人
日本の推理作家。日本推理作家協会の会長。代表作に「館シリーズ」などがある。
京都大学の教育学部に入学し、京大推理小説研究会に所属していた。研究会の同期には同じくのちに推理作家としてデビューする我孫子武丸や法月綸太郎などがいた。大学4年の冬に江戸川乱歩賞にのちに『十角館の殺人』となる作品を応募し、一次選考に残る。その後、執筆活動と平行して教育学研究科に進学。在学中に『十角館の殺人』で作家デビューを果たす。
同じサークルに、綾辻行人と我孫子武丸、法月綸太郎がいたなんて感動ですよね。彼らが所属していた京大推理小説研究会はまだまだ存在していて、3人はたまに訪れているそうなのですが、本当に豪華すぎるOB訪問ですよね…
ちなみにどうでもいい情報ですが、同じミステリー作家の宮部みゆきは生年月日・デビュー年月が同じで、日本推理作家協会賞を同時受賞するなど、縁あって交流が深いそうです。
湯川 秀樹
日本の物理学者。京都大学理学部理学科(当時は京都帝国大学理学部物理学科)を卒業。京大、阪大の名誉教授。日本で初めてノーベル賞を受賞した。
27才で「中間子理論構想」、その翌年には「素粒子の相互作用について」と言う2つの大きな論文を発表したものの、当時日本は中国との戦争中でそれらが評価されることはなかった。
その後、その理論の内容に注目が集まり、正しさが物理的に証明されると、帝京大学やコロンビア大学の客員教授として活躍するようになる。
また、物理だけでなく物理学者の育成や平和運動に力を注いだ子どでも有名である。
京大といえばノーベル学者!特に物理学者が多いですね。同じ京大卒で物理学者の朝永振一郎はお互いを高め合うライバル同士であったみたいです。あのアインシュタインとも交流があり、平和運動などで共に協力して活動していたそうです。
また、彼の功績を称え、核力の到達距離の1fm = 10-15mを 1 yukawa として呼ぶ案があったみたいですが、広まりはしませんでした。
岡潔
日本の数学者。京都帝国大学理学部卒業と同時に京大の大学講師に着任し、その後4年で教授になる。変数解析関数の分野で大きな功績をあげる。
変数解析関数の3大問題と呼ばれ、ヨーロッパでは当時1つとして解けていなかった問題を、一人で解いてしまったことから、「岡潔」と言うのは日本の数学者集団ではないかと言う説が流れたほど。
彼の数学は独創的で、「数学は情緒です。」と言う持論を持っていた。教育者としての顔も持ち、湯川秀樹や朝永振一郎も彼の授業を受け、強く印象に残っているとしている。
日本の数学者で最も有名かもしれませんね。今でも欧州では「オカ・キヨシ」といえば通じる人もいるほどです。
彼は変人としての逸話も多数残していて、
- 勤め先までの道中の地蔵に石を投げ、もし当たらなければ授業を休校にしていた
- 誰もいない道で突然大演説を始め、1時間喋り続けた
- いつでも長靴を履いていて、スーツは着たがらなかった
など、他にも変人、奇人エピソードは数知れません。京大生=変人の方程式の代表は彼なのかも知れません。
野依良治
日本の化学者。「キラル触媒による不斉反応の研究」でノーベル化学賞を受賞した。
工学部の工業化学科を卒業し、同大学院の工業化学科で博士課程まで修了しました。その後、名古屋大学やハーバード大学で研究者として活躍し、のちにノーベル賞受賞のキラル触媒の研究など、多くの成果を出していきました。
「ナイロンが石炭と水と空気でできているという話を聞いて、化学者の道に興味を持った」というエピソードを持っているそうです。また、子供の頃に湯川秀樹がノーベル賞を受賞した時も、「自分はノーベル賞を取るんだ!」と宣言したと言われています。
大学の学部の頃は麻雀や酒に明け暮れて、ショーウィンドウの窓ガラスを破壊したという言い伝えも残っています。しかしひとたび研究になれば全力を注ぎ、徹夜が続いたり怪我をしたりしても決して研究を辞めませんでした。
また、研究者として日本の将来のあり方を模索し、国家事業や各委員会などの公的活動にも積極的に参加をされています。
京都大学を卒業した著名なスポーツ選手・その他
京大を卒業したスポーツ選手や、今までのカテゴリに収まりきらない人を紹介しています。
田中英祐
元プロ野球選手。日本のプロ野球の選手では唯一京都大学出身で、京都大学初のプロ野球選手。
京都大学工学部に現役合格を果たすと、硬式野球部に入部。その後1年性の春から関西リーグに登板しました。3年次には関西リーグのリーグの投手部門でベストナインを受賞、4年次には関西学生野球連盟から特別功労賞を授与されました。
大学卒業後に三井物産に入社する予定でしたが、プロ志望届を提出していたために千葉ロッテに2巡目でドラフト指名され、ロッテに入団しました。
プロ入り後はなかなか活躍のチャンスはなく、2017年には戦力外通告を受け、現役を引退して2018年の春から三井物産に入社予定となっています。
京都大学でプロのスポーツ選手が出たのも久々ですが、野球選手というのもあって大きな注目を集めていました。千葉ロッテの1軍デビュー戦ではチケットが2日前に完売し、開場時間を早めるという伝説も残しています。
ロッテでは1軍に公式戦で2試合登板しただけでしたが、これから彼が三井物産でどう活躍してくれるのか楽しみですね。
pha(ふぁ)
京都大学総合人間学部人間学部出身。元「日本一有名なニート」。
大学入学後に熊野寮という、オンボロの学生寮に入ったことで道を踏み外す(本人談)。大学も2年間休学の末、卒業。その後サラリーマンを2年間続けるもTwitterとプログラミングと出会ったのをきっかけに退社。ニートとなる。
その後は毎日ダラダラとした生活をしていて、働くのも最低限の生活ができる程度である。近年ではギークハウスという低所得者層向けのシェアハウスを運営したり、自らがプログラムしたインターネットサービスを始めたり、書籍を執筆、出版したりしている。
日本で一番有名なニートとして名を馳せたのがphaさんです。
学生時代には麻雀に明け暮れ、授業にはほとんど出ていなかったそう。その頃の熊野寮(学生寮)は半分近くの生徒が留年していたみたいです。
サラリーマンとして社会に一度は出たものの、働きたくなくてニートに。仕事を辞めた際には貯金が400万円あったそうで、「これが100万円になったら働こう」と思っていたらそれが50万円になり、20万円になっても働く気が起きなかったそうです。
いまでは何かしたくなったときにブログを書いたりプログラミングをしていたりするそうで、それ以外の日は相変わらずぼーっとしたりしている日が多いそう。
また、24歳の頃から「はてなダイアリー」(いまでいう ”はてなブログ”)をつけていて、最近でもちょこちょこ更新されていたりします。
phaさんの本
最後に
以上、京都大学卒の著名な有名人をまとめてみました。
京大の卒業生として有名な人から、「え、あの人も京大出身だったの?」と言う人まで数多くいたと思います。僕もまとめていて、この人先輩なんだ…と思ったりしました。
特に初音ミクの生みの親も京大出身だったりして面白かったです。
他にもまとめられなかった人や情報不足の人もたくさんいるので、思いついたり新たに発見したら追記していきたいと思います!