京大VS東大ってやってるけど…  僕たちは手を取り合うべきではないか

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東大VS京大を見た

先日、Youtubeで「東大vs京大」と言うタイトルが目にとまり、テレビ番組の一部を見ていました。

僕は関東の出身で京都大学に通っているため、下宿で一人暮らし。テレビがないために世間には疎く、案の定その番組の放送日時は約半年前のものでした。

 

ここからは、完全にそのテレビの感想と言いたいこと(?)をつらつらと書き綴っていくのでよかったらお読みください。

注意

もしこの手の番組を楽しんでいる方がいらっしゃいましたら、続きを読むとある種の「ネタバレ」感があるのでここで「戻る」のボタンを押された方が賢明かもしれません!

 

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番組の内容

そのテレビ番組の内容は、「東大生と京大生の実態を探る」というもので、もう少しオブラートを剥がし気味に言うと、

東大生と京大生はこのくらい変な人なんだよ!

と言うのを世間に知らしめようとしているかのような内容でした。

 

まあ、東大生は勉強しかできないみたいな、いわゆる”笑い者”扱いをしている番組も見たことがありますし、テレビは数字(視聴率)が取れないとやっていけない職業なので仕方ない部分もあります。

それにメディアが流すものがいつも真実であるとは限らないと言うのが個人的な見解ですし、テレビを見る側の人にも情報を正しく受け取る責任があると思います。

 

さらに気になった点は、「東大生と京大生を戦わせようとしている」ところです。それも数字を撮る上で必要ならば仕方ないと思いますが、何かこう無為な感じがするんです。特に内部の人間から見て。

 

ぶっちゃけて言おう

ぶっちゃけて言うと、僕は東大生にコンプレックスのようなものを持っています。だって現役、浪人と勉強して、それでも念願の東大合格を果たせなかったから。あの入試問題を解き、見事に合格を果たしている人は本当にすごいと思います。

よく言われていることですが、勉強ができると言うことはスポーツができたり、絵が上手かったりするのと大差ないです。なのにスポーツができると褒められ、勉強ができると笑い者にされるのは少々気分が悪いです。

 

それでも、勉強ができることをネタにできる人はいいと思います。ロザンの宇治原さんや、東大卒の芸人さんなんかは、いわゆるネタとして「学歴」でいじられている感じがあります。でも、どの大学生もそれを受け入れられるだけのポテンシャルがないこともわかってもらいたいです。

 

舞台裏では…

これはテレビに出ていた京大の友人から聞いた話です。

別のとある番組で、東大生と京大生が自分たちのいいところやお互いの欠点を言い合って対決するシーンがあったそうです。言われてその番組を見てみると、そこでは

「東大のここがすごい!京大は〇〇がないからダメ!」
「東大こそ〇〇のくせに!」

みたいな喧嘩口調でお互いをけなしあったりしていました。そのシーンは後ろから笑いの声が入れてあったり、お互いを煽るうまい司会者がいたりして、本来なら普通に番組を楽しめたはずだったのに、僕はとてもブルーな気持ちでしか見れませんでした。それは、友達から

「あれはああしろって言うディレクターの指示やで。俺ら普通に舞台裏で仲ようはなしとったもん」

と言われていたからでした。つまり、あの対決は作られたもので、本当はお互いがお互いをそんなに悪く思っておらず、むしろ友好的だったと言う風なのでした。

今回の文章で1番伝えたかったのはまさにここです。

 

僕たちが目指すところ

テレビはいっつも、京大vs東大のように、いつも僕たちを戦わせたがっています。これは、外から見ていて面白いですし、早慶戦のようにもはや因縁としてイメージを持たれています。(早慶ももしかしたらそうかもしれないですが…)

 

本音で言えば、もう対決はどうでもいい。だって当の本人たちは別にお互いのマウントを取りたいとは思ってないのです。そもそも東大は京大なんて眼中にないと思いますし(地理的な意味でも)、京大も東大がどーのこーの言っているのは飲み会の席だけです。

それよりも、僕が見たいのは東大と京大が一緒に協力し、”手を取り合って”何か問題解決に取り組む様子です。

 

お互いがいいところを持ってるんだから

先ほどの番組で、京大生はこうだとか、東大生はここがダメとか言うんだったら、その逆を考えてみれば済む話です。例えばお互いの印象としては、

東大生は

  • 勉強しかできない

 

京大生は

  • 頭のおかしい変人が多い

みたいなけなされ方をしていましたが、逆に考えれば

 

東大生は

  • 計算や文章読解などが早くて正確

 

京大生は

  • 他の人には考えつかないようなアイデアが出る

と、プラスに捉えてお互いがお互いを補い合えばもっと素晴らしいことができるのではと思うのです。

 

相手は世界ではないか?

なぜこんなことをいきなり語ろうと言う気になったかと言うと、日本はいつまでも内向きの戦いを繰り広げているわけにはいかないと思ったからです。

 

関ヶ原の戦いは、”天下分けめ”の戦いでした。しかし、それはまだ天下が日の本の国にあると自分たちが思い込んでいた時代のことです。天下を治め、実際は200年近く繁栄を続けていた江戸幕府も諸外国の介入あってはその栄光が自分たちの思いの届く範囲の中だけだったと言うことを思い知らされました。

 

東大VS京大も似たようなことになってしまっているのではないかと思います。東大とか、京大とか言っている場合ではなく、お互いが結託して世界に勝負していかないと、やがて世界でも戦える実力がなくなってしまうのではないでしょうか?

この危惧が、杞憂に終われば何よりですが、そうならないためにも東大さんといい意味でお互い刺激しあい、何かできればなーと思います。

 







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