大学はいらない? 大学不要論に現役大学生がツッコミます

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最近、巷ではインフルエンサーや批評家と呼ばれる人が「大学不要論」なるものを打ち立てて話題になっています。

はじめにはっきりさせておくと、僕は「大学なんて辞めたほうがいい」という意見には反対です。(まぁ、だからまだ大学に通っているのですが…)

 

この記事は、そんな僕が「大学はいらないのか?」、「日本の大学は本当にオワコンなのか」や、「大学に行くこと」の意義・意味を探ろうとつらつらと書いてみた文章です。

 

  • 大学に行く意味に迷っている人
  • 大学はオワコンだと思っている人

はぜひとも読んでみてください!(それ以外の人も!)

 

注意:

僕はこの議論の一部を切り取り、僕なりの見方をして文章化したにすぎません。これが「結論」でも「絶対的な意見」でもないことにご注意ください。

大学不要論とは?

まずは、問題の確認と定義から始めたいと思います。そもそも「大学不要論」とはなんなのか?

 

この議論が巻き起こった発端の1つは、堀江貴文氏のこのツイートだと思われます。

このツイートが言葉の意味どおりの “始まり” ではなかったかもしれませんが、議論が白熱していったのはこのころからです。

 

そして、議論は「大学なんて辞めてしまえ派」と「大学も必要だよね派」に別れて進んで行きます。(もちろん、中立的な立場の人もいますが…)

全ての意見を確認できたわけではないのですが、それぞれの主張をまとめてみたいと思います。

 

大学は不要派の意見

大学不要派の意見は概ねほとんどの人が合致していて、主な主張は「大学はオワコン」だということです。

 

では、オワコンとは何かというと人それぞれ微妙に違っていたのですが、全体的にみて「大学を卒業しても経済的・職業能力的なメリットはない」ということが言われていたと確認しています。

※僕が確認できた限りなので、違うぞという人はぜひともコメントなどで意見をください!

 

大学は必要派の意見

これを探すのにはかなり苦労しました。大学が必要派というよりは、「大学なんて辞めてしまえ」という意見に対して「それはおかしい!」という否定の意見を言っているにすぎない人が多かったからです。

 

必要だという人の意見として最も多かったのは「大学は研究場所だから」というものでした。これは後で触れるので詳しい説明は割愛します。

 

以上が大学不要論の総括になります。ここから、自分の意見に移っていきたいと思います。

 

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大学ってそもそもどういうところだっけ?

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まずは、大学がオワコンか、そうでないかという前に大学とはどういうところかということについて考えていきたいと思います。今回は

  1. 学問・研究の活動場所
  2. 離れた視点から物事を見る期間
  3. 職業的な技能訓練の機会

という大学の3つの役割を述べたいと思います。

 

1. 学問・研究の活動場所

大学が必要と主張する人の意見が集まっていたのはここです。

特に理系の研究室がイメージしやすいと思うのですが、大学は学問研究という役割を担っています。詳しくは知りませんが、文系も同じと考えていいと思います。

 

この研究は、「基礎研究」などのいわゆるお金にならないものもあります。そういうものは企業が積極的にやりたがらないので産官学でいう学が受け持つことが非常に多いです。

また、研究だけではなく、広く一般的な知識を身につけるという、「リベラルアーツ」的な教育機関という意味でも大学は社会に大きな貢献をしていると言えるでしょう。

 

2. 離れた視点からさまざまに物事を見る期間

また、「大学が社会から隔絶された」空間ということも忘れてはなりません。つまり、ある意味で従来までの高校生的、半強制的な「勉強」とも、「就労」とも切り離されたと言えるのです。

 

この「知的・肉体的には一人前に達していながら,なお社会人としての義務と責任の遂行を猶予されている」状態の人のことは「モラトリアム」と呼ばれます。

一般的にはモラトリアム人間というのは怠惰なイメージを与えらえることが多い気がするのですが、大学に限ってはその限りではないと思います。

 

というのは、そういうモラトリアムな状態の人しか持つことができない視点というものがあるからです。社会から離れた視点で物事を見るということは大学生活における特権と言ってもいいと思っています。

 

この文脈からも「大学で学問・研究をやる意義」が伺えます。なぜなら、物事を俯瞰して見ることができる場所から出ないと論じることができない議論というものが沢山あるからです。

 

3. 職業的な技能訓練の機会を得る場

そして最近、話題になっているのが「職業的な技能訓練の場」としての大学です。

元々の大学にはこの役割はなかったとは思いますが、「職業予備校」としての大学というのは今の時代において無視できない部分になっています。

 

国としても2019年から専門職大学なる大学を新設することからみるに、職業能力開発の場としての大学に多少なりとも期待を持っているのではないでしょうか?

 

では、大学は「オワコン」なのか?

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では、本当に大学がオワコンだというのは本当でしょうか?

最初に確認した通り、大学不要派のいう「大学がオワコン」というのはおそらく職業的な技能訓練の場として機能していないということです。

 

それについては賛成できます。というより、そこが大学の本分でないというのがもともとあると思います。なので、それがオワコンというのは個人的には少しおかしいような気がします。

 

では、研究機関としての大学はどうでしょうか?それもある意味ではオワコンなのかもしれません。最近では科研費などの削減が辛いということも聞いています。山中教授がマラソンで研究のための寄付金をかき集めている国なんて日本くらいだという話はよく耳にします。

 

では、離れた視点からさまざまに物事を見る期間という意味での大学はどうでしょうか?これももある意味でオワコンと言われても仕方がないかもですね。

なぜなら、大学生の全員が「自覚を持って世間に客観的な眼差しを向けている」とはとても言い難いからです。

 

つまり、大学不要派がいう通り、もしかしたら「オワコン」なのかもしれません。(だからと言って、それが直接大学を辞めるということには繋がりませんが…)

 

しかし他方で、この通り大学がオワコンだからと言って、別に大学を辞める必要があるかといえば別にないんじゃないかとも思います。

「大学に通わなくても勉強できる」と主張する人もいますが、それの裏を返せば就職しなくてもお金を稼ぐことはできるわけで… 無理して辞める必要なんてないんだと思います。

 

また、別に集団として機能していなくても「離れた視点からさまざまに物事を見る」ということに関しては個人単位でできます。

これとかに関しては、大学に通うことの意義として十分ではないかと考えます。

 

小まとめ

  • 大学は見方によっては確かに必要ないのかもしれないけど、別に辞める必要性も特にはないんじゃない?

 

まあ後、個人的には大学の図書館を利用できなくなるのは非常に辛いですね。年間で100冊以上の書籍にアクセスしようと思ったら、いくらかかるのかを考えると、やっぱり学問しやすいです。

 

さて、ここからちょっと話は変わって、大学を「辞める、辞めない」の議論から「どうすれば有意義な大学生活を送ることができるか」についての議論に入っていきたいと思います。

 

誰が大学を「オワコン」にしたのか?

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ここで、どうすれば大学が機能するようになるかを考えるために、大学が「オワコン」になった原因に目を向けたいと思います。

大学がオワコンになった原因というのは僕の思いつく限りでは4つ考えられます。

それが国、企業・就活、学生、そして大人です。

 

文部科学省などの国(?)

国というとあいまいですが、これは社会の構造みたいな大きなことを言っています。

これは、「税金で学校を運営することが機能的なのか?」のような机上の空論になりそうなのでざっくりとしか触れませんが、考えてみる価値はありそうです。

 

企業・就活などの形態

誰が大学を今のような職業を意識した場所にしたかということについて、少なくとも1枚噛んでいるのが企業だと考えています。

これには多くの人が賛同してもらえると思うのですが、リクルーティングの場所として大学を定義し、視点をそこに縛ったのは企業の悪いところだと考えます。

 

そして、大学生に職業的な能力を求めるようになったのも原因の1つではないでしょうか?

 

流されるだけの学生

そして、その企業の定義に則って、固定化された視点への誘導に乗っかっている学生もまた、大学をオワコンにしているのかもしれません。

大学生と聞くと、多くの人が暇な、自由な時間を過ごせるというイメージを抱きます。このイメージこそが日本のいまの大学の姿かもしれません。

 

囃し立てる大人たち

そして、最後のプレーヤーが大人です。「大人」というとざっくりとしていますが、ズバッとわかりやすくいうとこの場合はインフルエンサーみたいに囃し立てる大人のことですね。

 

最初の方に見た大学の役割を考えると、「大学はオワコンだ!だから辞めてしまえ!」という人たちは大学の意義を理解していないと言えるのと同時に、そうして声をあげることによって「その人たち自信が大学をオワコンにしている」と言えます。

 

どうすれば大学が機能する社会になるのか?

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では、最終的にどうすれば大学が機能する社会を取り戻すことができるのでしょうか?僕なりに考えた解決策を3つばかり提示したいと思います。

 

その1. 学生自身の気づき

まずは、学生自身が「大学とはどういう場所であるか」ということを再度みつめなおすことが必要だと考えます。この時、もしも自分のやりたいことが他にあると考えるなら大学に行かない、もしくは辞めるという選択肢もありなのかなと思います。

ただし、それは自分の考えであって、「だれか他の人が言っていたから」とかいう理由ではないことが必要と考えます。

 

個人的には、その判断をするためには、いろいろな書物を読み、人と議論を重ね、社会を俯瞰的にみる必要があり、つまりは大学での学問が必要不可欠であると僕は考えるので、今は大学に行く必要があると考えています。

なにはともあれ、まずはこの「学生自身の気づき」というのは必須です。

 

その2. 企業の採用方式の変更

もう一つ大学が社会的な意義を持つやり方としては、企業の採用の基準や方式を見直してもいいように思います。

つまり、「新卒時の職業的な能力」以外にも様々な評価軸を作ってやるべきと考えます。当たらずも遠からずという例には最近流行りの「一芸評価」や「麻雀で就活」などがありますね。

 

こうした取り組みは多様な社会を生むと思いますが、一方で学生の意識や企業の社会貢献に十分な効果があるかと言われると疑問が残ります。

乗り越える壁は多そうですが、あながち間違ってはいない方向だと思います。

 

その3. 大人たちの眼差しの提供

では、「大人」はどのような役割でもって「大学を機能せしめるか」ということですが、僕はこれは「視点の提供」によってだと考えます。

視点の提供というのは、「こういう見方もあるよ!」ということを投げかけて欲しいのです。(大学辞めろもその1つと言われればそうですが…)

 

つまり、大学で意義のある学びをした人たちがそれを学生に伝え、学生の視野を広げてあげることが大人にできることなのではないかと考えます。

 

えー、だから乱暴にまとめると、インフルエンサーとかは「大学いかなくていいじゃん」とか、「大学行っといたほうが就活に有利だよ」とかそういう話もいいのですが、「大学のうちにカントだけは読んでおけ、その理由は〇〇だからだ!」みたいな、もう少し実りのある議論をしようじゃあないか、ということです。

 

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最後に

と、強引にまとめて最後まできてしまいました。

 

言いたかったことは要するに「大学なんていらないよ!」と口だけで言うのは簡単ですが、大学がなぜ要らないのか? 大学の新たな役割とは何か? どうすれば大学として機能するのか? などはしっかり考えて発言してくださいよってことです。

 

最初にも言いましたが、これはあくまで僕が知り得た範囲の情報を、僕なりに切り取った意見ですので反論、異論がありましたらコメント欄にてお気軽にコメントしてきてください!(ガラスのハートにヒビが入らない程度に!)

 

以上、京大生ブロガーのいぶき(@ibuki_blogger )がお送りしました!

 

ありがとうございました!

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2018年8月25日






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2 件のコメント

  • 記事投稿ありがとうございます。
    大学がオワコンと言われるのを、外野(国・企業)のせいにだけするのではなく、学生である自分からも「気づき」を大切にして、良い学生生活にしていこうと思いました。
    ーーーーーー
    『職業的な技能訓練の機会を得る場』
    の最後で、
    『期待を持っているのではないで”消化”?』になっていました。
    意図的なものでしたら大変申し訳ありません。