きっかけは、このブログのこの記事です。
『東京学藝大学の学生生活は本当に病むから気をつけたほうがいい』
僕は、この本(↓)を読んでいたこともあって、藝大ってもっとこう「変人の極みたちが変なことをやっている」というイメージだったのですが…
皆んなどこかに心の闇を抱えていたように思えました。
その闇が絵を描く原動力になることもありますが、闇が結構深く、一人では抱えきれないほど悲しい過去を背負っている生徒が多いです。
私は自分のアンチから殺人予告が来たことがあります。
自分の使っていたアトリエにトマトを投げつけられたこともあります。
学生同士で足のひっぱり合いから、人間不信になることもありました。
案外俗っぽいというか、やはり芸術は人間が作るものだなという感想を得ました。
んで、藝大生がこういうことをしてくれるというのなら、同じようなフォーマットで書いてみたら面白いんじゃないかなぁと思い筆をとった次第です。
いわば、これは棚村さんの記事に対する返歌というところでお読みください。
2年前の春、僕は念願の京都大学工学部に浪人を経て合格し、これからの楽しい大学生活に心躍らせていました。
サークルの新歓でお花見に誘われ、鴨川の桜の美しさに心奪われていると、とある先輩が僕に行ったのです。
「お前は俺みたいになるなよ」と
僕はこの当時、この言葉の意味を理解していませんでした。
皆さんは京都大学をご存知ですか?
湯川秀樹、川上量生、マック赤坂など多数の著名人、ノーベル賞受賞者などを輩出している、国内トップクラスの国公立大学と言われています。
僕は、京都大学工学部を浪人で合格しました。
僕の年は倍率3倍くらい? 現役合格の倍率とは知らんけどまあまあ高かった気がします。
別に僕はまだ卒業というわけではないのですが、今回は大学生活を振り返って僕が京都大学に対して思うことを書いていきたいと思います。
目次 (クリックでジャンプ)
1, どうしてみんな ”さまよえる” のか?
京都大学の学生は、少なからず ”ふらふら” していることが少なくありません。
みんなどこか、こう…『大丈夫?』 って人が多いです。
その様子が「京大は変人の集まり」とか言われるのかもしれませんが、多くの人が人生について悩んだり壁にぶつかったりしています。
その理由を探ってみましょうか。
(1) 上には上がいるから
京大に合格して思い知らされること、それは「上には上がいる」ということです。せっかく必死になって勉強して、やっとの思いで合格してもなお、自分より勉強ができる奴がいるのです。
京都大学ともなると、そこらへんの高校トップとか、TOEICが何点、英検が何点とかでは話になりません。
もうね、全国物理大会とか数学オリンピックとかはザラ。もう本当にびっくりしました。
じゃあ、いざ勉強以外に目を向けてみても、自分は何ができるのだろうという人が多いです。
まあ、当たり前ですよね。だってついこの前まで高校と、せいぜい部活くらいが自分の世界だったガキンチョに何ができるんだって話です。
クイズ大会で準優勝とかしてめちゃめちゃ頭がいい人とか…
高校ではフィンランドに1年留学、ベトナムにも語学留学してハワイ大学で研究的なことをして、全国の物理大会とかに出て京大に推薦入学してくる人とか…
こうした人たちを見ていると、「何者にもなれそうにない自分」というものがありありと見えてしまうんですよね。
「そこそこの大学でトップクラスにいたほうが幸せだったかな…」とか考え出したら闇です。
(2) キャンパスライフはバラ色でないことを知るから
高校生のうちって、「大学生になったらきっとキラキラのキャンパスライフが待っているんだろうなぁ…!」って思っているかもしれませんが…
思い出して見てください!中学から高校に上がる時、そう思ってませんでしたか?実際はどうでしたか?
しかも、これは工学部だけの宿命なのかもしれませんが、男女比がおかしいwwwってくらい男女比がおかしいです。男97 対 女3 … ?みたいな。
そのうち気が付き始めます。「あれ、キャンパスライフはバラ色かと思ったら灰色…」「これじゃあ男子校に入ったようなものだ…」
工学部はそのうち桂男子収容所に飛ばされるのでもっとひどいことになるみたいですが☆
(3) 単位が降ってくるから
「京大は単位が降ってくる、阪大は単位が埋まってる」という言葉は有名です。そこまでではないかもしれませんが、大学の単位って取るだけならなんとかなってしまうことが多いんですよね。
勉強ガチでするのは、ガチ勢がいるから…なんていって単位だけを取ればいいやみたいな勉強の仕方をすると、もう破滅です。
そのうち、勉強したくて入ってきたのになぁと思うようになります。
(4) 憧れてくるところだった?
僕は関東で育ったこともあって、京都に少なからず憧れみたいなものを抱いていました。
鴨川での等間隔、授業終わりに寺社仏閣、なんかそのうちユーレイみたいなのが見え出したり、黒髪の乙女を探し回ったりするものだと思っていました。
でも、実際はそうでもない。
大学なんだし、毎日課題の山、予習・復習と、なんか暇な時間が待っています。
実際、京都大学に入学した理由は「日本トップクラスの大学」だからでした。憧れ…だったんだと思います。
しかし、そういう理由できてしまったからこそ僕自身かなり “さまよい” ました。
日本トップクラスの大学に合格したからと行って、自分自身が日本トップクラスになったわけではないんですよね。
京大生って親戚連中なんかに言うとすぐ「ノーベル賞」を期待されますが、本当に恐ろしいです。
京都大学で元気に学生生活を送る方法
さてさて、何やら暗いお話になってしまいましたが、ここからは「京都大学で元気に学生生活を送る方法」をお話しして行きたいと思います。
僕みたいに ”さまよえる京大生” を半年間くらい送らないためにはどうすればいいか、具体的に3つあげて行きますね。
あの頃の僕に教えたかった!と思ってやみません。
自分の欠点を受け入れて、良い面をみる
まさにコレ!自分の欠点を受け入れましょう。そして、いい点を見つめ直しましょう。
今、自分の周りにいるのは、おそらく日本最高峰の大学の学生たちです。それはね、比べたってしょうがないと言うか、なんちゅーか。
でも、考え直してみると、「そんな天才集団」の中で自分がこれが得意!って言えるものがあったらおそらくそれはきっと世界で通用する自分の武器になります。
僕の場合は、工学部で数学も物理もあんまり得意じゃなかったけど
- 人とすぐに仲良くなる
- 文章を書く
ことはそれなりにできると思いました。だからいろんな人と仲良くなって面白いことたくさんできるようになったし、こうしてブログ書いたりしてます。
例えば、これが文学部に行ったら話は別かもしれません。文学部にはきっと僕より人付き合いが良くて文章うまいやついっぱいいると思います。
そうしたらそこでまた新しい武器を探せばいいのです。僕の場合はそれこそ「工学への造形が深いこと」が強みですよね。
人間なんでもできると言うやつは本当に少ないのでこれが案外一番いい生存戦略だと思います。
キーワードは、「なのに」です。工学部なのにライター。文学部なのに微分積分大好き。こうした「一味違う」と言うことが強みになります。
アホになる
阿波踊りの最初のフレーズに、こんな言葉があります。
「踊るあほうに見るあほう。同じアホなら踊らにゃ損、損」
まさにコレっすよ。同じアホなら踊らなきゃ損。「いいなぁ」、とか「スゲェなぁ」とか言ってる前に速攻行動しろって話です。
京大には少なからず変人がいます。猫耳で大学を徘徊していたり、授業中に鍋を囲み出したり、少々世間の常識と外れてる方がいます。
京大はこんな” 頭のネジが一本飛んだような人” が多いので自分をさらけ出していくことが苦にならなくなります。
「何やってんのアイツら?」とか「バカじゃないの?」とか言われません。
と言ってきます。面白いです。
今まで、そう言う圧とかプレッシャーとかを感じている人も自分をどんどん前に出して言った方が良いです。
アホになりましょう。
世界は広いのだということを知る
一年前の自分に言いたい。
世界は広いのです。
京大の中で小石を投げたって、それは京大生に当たります。当然です。当たり前です。
「京大に入ったらモテる!」とか、「ちやほやされる!」とか思っている人、残念ながらそんなことはありません。だって、周りみんな京大生だから。
大学の中に閉じこもっていたって「何者にもなれそうにない自分」と向き合うだけです。
それならいっそ大学という枠の中から抜け出しましょう!
世界は広いのです。
僕の知り合いには、アフリカに行ったっきりでそのままそこで農業を営んでいる人もいます。
だから、自分の殻に閉じこもってうじうじして、「僕はもうダメだ!」って思って、でもいろんなことにチャレンジしようとしてでもできなくってっていう一年前の自分に言いたい。
世界は広いのです。
最後に:京都大学は楽しいぞ
さてさてさてさて、この内容に賛成、反対の人がいるかと思います。賛成の方はシェアを!反対の方はぜひ反対の意見を発信して欲しいと思います。
ただね、僕は案外というかガラスのハートの持ち主なので叩くときは慎重にどうぞ。
本家の記事もぜひ読んでください。
『東京学藝大学の学生生活は本当に病むから気をつけたほうがいい』
#京大の新入生へ
この記事を読んだんだから、僕みたいになるなよ!