現代文、特に評論文を苦手という受験生は多いように思います。
なぜ評論文が苦手かというと、理由は様々ですが、その一つに「評論文は表現が難解」だということがよく挙げられます。
ひどい(難しい) ものだと問題文を全部読むだけでかなり疲れてしまいます。
しかし、読むのに苦労しているようだと、当然ながら高得点は望めません。
僕も、現役時代は堅い表現が多い評論がニガテでした。読めるテーマや得意な問題はスラスラ解けるのですが、馬が合わない問題はボロボロでした。
そこで、先生に相談したのですが、その当時の先生が、
とおっしゃっていたのでとにかく薦められるままに何冊か本を読みました。
すると、ムズカシイ文章も意外と読めるようになりました。
これはもしかしたら「難解な文章にただ慣れた」だけかもしれませんが、評論文においては”慣れ”ることも立派な点数アップの秘訣です。
そこで、この記事では「高校生に薦めたい! 現代評論 15冊」と題して評論文で頻出の5テーマの中から3冊ずつ選りすぐってみました。高校生が読んでもそれなりに面白いと思える本を選んだつもりです。
これを読んだからといって点数がぐんと上がるわけではないと思いいます。
でも将来を考えさせられるような深い問いが見つかるかもしれませんし、読んでおいても損はないかなーと思います。
これから紹介するような本を読む時は、あらかじめノートやルーズリーフなどに「語彙のーと」を作って、わからない単語の意味や使い方などを書いておくと後から見返すことができて大変便利です。
ぜひお試しあれ。
目次 (クリックでジャンプ)
テーマその1 文学・芸術
1つ目のテーマは、文芸・芸術です。
芸術によって求められる表現というのは美の創造であって、それによって伝えられるものは「人間の内面的な世界」です。
近年注目を集める考え方は、こうした美の創造は、進んで個性的であろうとすると独善的な表現になってしまい、かえって類型的なものになり、受け手の自由を束縛するものだというものです。
文学では、これと同じように、写実は単に写実であるがゆえに、枝葉末節や細部の強調に執心してしまい、結局本質的なものとならないという指摘もあります。
また、現代では表現方法の多様化やテクノロジーの影響を受けた新しい表現形式に言及したものも増えてきています。
古典と現代文学 山本健吉
柿本人麻呂、源氏物語から松尾芭蕉に至るまで、古典文学の代表的な作家や作品に焦点を当てて、古典は伝統に則ったある種の「共同体」があったと説きます。そして、その共同体によって作家や作品は位置付けられ、新たな伝統を生んでいったとします。一方、現代文学はその「共同体的基盤」を失ったとし、それこそが現代の芸術にとっての不幸だと述べています。
文学の未来 清水良典
近代文学はどこからきて、どこへ向かうのかを文学の歴史から考察します。谷崎潤一郎、幸田文、筒井康隆といった幅広い文学者について触れていて、それらの「文」の魅力という観点からの価値付けにおいて筆者は「純文学」という概念を用いています。
美学への招待 佐々木健一
激しい時代の変化に連れて、芸術作品を見たり、芸術に触れたりする方法にも変化が見られるようになってきました。美術館に行くことなしに絵を鑑賞でき、本物そっくりの模倣品が世に出回る現代において、芸術が直面する課題について述べています。
テーマその2 思想・哲学
思想や哲学のジャンルは扱う幅が広く一概に特徴化できるとは言えません。
このジャンルの中で、強いて触れられる機会が多いものを選ぶとすれば、やはり「自己」をテーマにしたものです。
近代になって、血縁や宗教的な共同体から自由になって人々は、自己の内面と向き合い、そこに他社とは違う自分、独立した孤独な存在としての自分を発見したことなどについて触れます。
また、心理学的なアプローチや、「自分とは何か?」という哲学的な命題を通じて「自分」を扱うテーマも多くなっています。事故には掛け替えのない個別性があるとか、他社との関係によって、もしくは他者に支えられて自分が成立するという視点があります。
不死のワンダーランド 西谷修
「不死のワンダーランド」とは、二度の世界大戦を終えて、「死」がその不可能性をあらわにした世界のことです。ハイデガーやバタイユ、レヴィナスらの哲学を検討し、医療技術の発達でもたらされた脳死や臓器移植について鋭い考察を見せています。
高校生のための哲学入門
近代以降、人は自分の生き方を選択・決定できるようになりました。しかし、人間は1人では行きて行くことはままなりません。他者との関係において自分の生きる道はどうあるべきかということを問い、近代的な価値観と物の正体を探ります。私たちの暮らしの中にある哲学を見つめ直すのにオススメの一冊です。
足の裏に影はあるか? ないか?
タイトルの「足の裏に影はあるか?」は、著者が自分の子供から出題された問い。実は、哲学の世界では足の裏には影はあるとも言えるし、ないとも言えます。また、2つの物差しを取り上げ、「どちらが『ホンモノ』のものさしか」について取り上げるなど、どちらが正解とも言えない思考の世界について語りかけてくれます。
テーマその3 社会・文化
社会論で語られるのは、ほとんどが近代への懐疑や批判が中心です。
近代は、中世の宗教的世界から人間中心の世界への転換が起こりました。その中で、科学技術の盲信し自然を統御可能とみる考え方や社会には目指すべき形があるという経済最優先の考え方が起こりました。
こうした現代社会において、問題点を指摘し、その課題の解消や克服のための提言をするパターンがよく見られます。
文化論においては、東洋と西洋を二項対立で比較するお決まりのものや、異文化の理解や文化間の上下を認めないとする文化相対主義に着目したものが多いです。
そのほかにも、急速な情報化社会の進展によって「近代」が失われている現状について述べるものもあります。
堕落論 坂口安吾
人間は、生きるためには堕落しなければならない、堕ちることによって救いを発見するべきであると主張していて、新しい時代を主体的に生きることを説いています。
豊かさとは何か 暉峻淑子
日本は世界有数の経済大国になりはしたものの、豊かな生活を送っているとは言えません。その理由を生活経済の観点から考察しています。著者はヨーロッパの体験から豊かさを「想像的で自由な生き方ができること」と定義していて、それを「最大限可能にする政治、社会」こそがもっとも豊かだとしています。
「かわいい」論 四方田犬彦
21世紀になって、日本ではあちこちで「かわいい」が溢れるようになりました。それは、従来のように”小さく幼げなもの” という意味ではなく、老若男女が時と場合、状況においてそれぞれの「かわいい」を使い分けています。そんな「かわいい」を、消費社会やメディアを通じて分析します。
テーマその4 言語
言語論は3つの観点から見るととてもわかりやすいです。
まず1つめは言語そのものに注目して、文法や性質などについて論じるもの。これは特に日本語の性質や様々な言語を比較、考察することが多いです。また、言語から発展して社会や文化などについて言及するものもあります。
2つめは、言語と国家の関係について。言語は国家の言葉として概ね認識されていますが、本来は国境のような明確な区切りはないものです。国家という縛りによって多くの「母語」や方言が失われているという指摘があります。
そして3つめは言語と認識の問題です。言語は意思の通信手段としての単なる「記号」ではなく、人間の観念に形を与え概念化したものであり、思考を媒介したり新たな概念を形作ったりすると述べるものです。
日本語の個性
日本語は直接的な表現を避け、間接的な表現を多用すること、室内語()ゆえに論争には適していないこと、雰囲気や情緒による女性的言語であることを説き、その曖昧な性質を具体的に考察します。また、そうした性質と文化・政治などの関係性についても言及しています。
記号論への招待 池上嘉彦
あるものを何かで代用して表現するとき、その働きを「記号機能」、表現されたものそれ自体を「記号」といいます。著者は、人間はあらゆる「記号」に満たされた文化的テクストの中で生きていると指摘し、ことわざや広告などの身近な日本語表現を例にコミュニケーションの仕組みを紹介していきます。
日本語 金田一春彦
世界の言語と比較して、日本語は他国語との接点が少なく、独立した言語であるがゆえに、表現の明確さに乏しい曖昧な言語であることを述べます。文法面では人数や数にこだわらず、発音面では同音異義語が多いと指摘し、さらには日本語の未来についても言及します。
テーマその5 科学
科学論も、近代的価値観に対する懐疑によって括ることができます。
“科学の発展こそが人類を幸福に導く” という、科学万能主義や合理主義こそが「近代」の価値観そのものだったと言えますし、実際にそう信じられていました。しかし、環境問題や生命倫理の観点からもわかるように、科学技術は必ずしも人類を幸せに導いたとは言えません。
科学論では概ねこのように、”科学の進歩の負の側面” に言及するものが多いです。一方、科学とは純粋な知的好奇心による営みであり、その技術の安全性や倫理を無視して利己的に使用することで様々な弊害が生まれているという指摘もあります。
最近では原発事故の影響やiPS細胞などの医療分野の発達を見てわかる通り、こうした科学的な話題はこれからも
科学者とあたま 寺田寅彦
いわゆる頭の良い人は目の前の減少を既存の枠組みで解釈し、納得できてしまうので結果として問題を見過ごしやすいとし、一方で頭の悪い人は減少がなかなか理解できず、錯覚と失策を積み重ねながら観察と分析と推理を繰り返すのでゆくゆくは良い科学者になる可能性があると説きます。
ゾウの時間 ネズミの時間 本川達雄
動物は、サイズが違うと寿命や運動の俊敏さなど物理的な時間感覚にも差が生まれ、時間は体重の四分の一に比例すると言います。生物それぞれに時間感覚が異なることから人間の物理的な時間の絶対視に対して疑問を投げかけています。
科学者とは何か 村上陽一郎
19世紀に誕生した知識職能集団としての科学者の行動原理は無責任であり、今は科学研究に伴う責任が問われる時代だと述べます。現代社会において科学が孕む倫理問題を考察し、現代の科学者に求められる倫理的態度について述べています。
最後に:だんだんと評論に慣れていこう!
高校生に勧めたい! 現代評論 15冊 と題して、現代評論を5つのテーマに分けて論じてきました。もちろん、これは受験に頻出のジャンルであったり、高校生に知っておいてほしい分野から選んだもので、ほかにもたくさん進めたい本はあります。
これだけ読めば評論の全てがわかる!というわけではないですが、読めばあなたの常識を広げ、知識を蓄えることができます。
時間があれば是非読んで見てください。