明日、五月一日より、市の指導を受けて京大の立て看板、通称「タテカン」が撤去される。
スッキリするような、寂しいような。そんな気持ちを文字に起こして見ようと思ったのは、僕のタテカンに対する、親愛の証かもしれない。
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タテカンとは?
ご存知ない人に、“タテカン” とは何かというところから説明してみようと思う。
タテカンとは、京都大学の沿道に立ち並ぶ、立て看板のことである。その歴史は古く、1960~70年代の学生運動全盛期には数100枚というタテカンが並んだという。京大といえばクスノキを思い浮かべる人もいるかもしれないが、京大生からしてみればタテカンの方が馴染みがあると言っても良い。
今でも東大路通り沿いや百万遍の交差点には100枚近くの立て看板がある。特に、今はサークルの新歓の時期なのでなおさらだ。
タテカンの目的は様々だ。自らの主義・主張を訴えるもの、サークル勧誘を勧めるものから、溢れんばかりの才能をキャンバスにぶつけて見たいという画家志望の絵まで様々である。
その一部をご紹介しよう。
サークル勧誘もの
掲示板のように使われているもの
タテカンに一家言あるもの
なんだかよくわからないもの
これらのタテカンは、京大の自由の学風を体現してきたと言っても良い。やりたい事をやる、という当たり前のことがいまの世の中では非常に難しい。その点、京大は、タテカンは、自由だった。昔の人はいまのようにインターネットで書き込むことができなかったのだから、タテカンは鬱憤を晴らす場所としては最適だったのかもしれない。
「自由な校風」は、京都大学の代名詞である。
他の大学に通っている友人も、「大学は自由だ」というが、京大以外に
- 深夜の大学を自由に出入りできる
- 学校内でテントを建て、畳を敷いてどんちゃん騒いでいる
- 大学生協の食堂でアルコールが飲める
と言った大学は聞いたことがない。まあ、そんなことしている人がいないだけかもしれないが…
僕は、京大のこの自由の校風が大好きである。
タテカンの撤去について
さて、タテカンに話を戻そう。
問題になっているのは、タテカンが市の条例に違反するということである。
京都は、皆さんもご存知のとうり日本有数の観光地であり、景観にうるさい。今回の騒動も、市が景観保護の観点から市全域を看板やポスターなど「屋外広告物」の規制区域にしているとして注意されたものである。
この条例は、2007年に新しい景観政策として改正され、2012年から市は商店などの違法な看板に対して厳しい指導を徹底してきた。京大のタテカンも、例に漏れず改善を求めて口頭や文章で指導を行なっている。
すでに同志社大学や京都府立大など、同じ京都にキャンパスを置く大学はすでにタテカンについて対策を取っている。申請したもの以外の看板の設置を禁止したり、看板の置き場をしている。京大は、これに続こうとしているのだ。
タテカンをめぐる対立
タテカンをめぐる対立をまとめると、以下の通りである。
タテカン撤去に反対派
タテカンを残したい派の主張は、まとめると以下の2つになる。
1つ、京大のタテカンは、自由の精神を表しているものであり、大学側や市が一方的に規制するのはその精神に反する
1つ、タテカンは京大らしさを表している、「京大の文化」なので撤去しないで欲しい
1つ、名残惜しい
この3つの主張に、さらに「大学が気に食わない」という人たちが加わって煽りをかけている状態なので混沌としているが、まとめるとこんなとこだろう。
おおよその京大生や大学の関係者は3つ目の、名残惜しいというところに落ち着くのではないだろうか?
タテカン撤去派
一方の撤去派、というか市や大学側の言い分は次の通り。
・タテカンは景観が悪くなる
・タテカンは、道の外にでていて、つまづいたり倒れてきたりして危険だ
・市が撤去しろと言っているのだから撤去をしろ!
こちらも言い分としてはもっともである。実際、立て看につまづいて転んだ人もいるそうだし、倒れてきたりしたら危険だと思うような看板もある。
また、大学側は構内にタテカンを立てるスペースを設けるとも言っている。まぁ、こちらは撤去をする前にそのスペースを作っていないことから見ても守られるかどうかわからない約束だが、一応譲歩としては成り立っている。
僕が思う京大のタテカン
さて、様々な情報が揃ったところで、他ならぬ僕の立場をはっきりさせようと思う。
僕は立て看の撤去に反対である。できることなら、立て看はこれからも京大の壁を覆っていて欲しいと願う人たちの1人である。
理由は単純だ。僕にとって、京都大学の立て看は京都大学の一部だからである。
市は、「景観の保全」と言っているが、彼らから見ればタテカンは景観を汚すものらしい。確かに、立て看板は自然物ではない。ゴリゴリの人工物である。
それに、公共物と呼ぶには少し不快なものもあったりする。そうでなくとも、見ていて良い気持ちになることはないような看板も一定数あることは確かだ。
しかし、よく考えて見て欲しいのは、タテカンがなくなった、大学の壁なんぞになんら価値はないということである。それよりも、むしろごちゃごちゃした、カオスな立て看板を見ている方が京大の景観としてふさわしいように思う。このなんとも言えない感じが、「あぁ、京大だ」と思わせてくれるのだ。
これについて、デジタルの毎日新聞に面白い意見が上がっていたので引用させていただきたい。
飲食店を営む男性(50)は「好感の持てない看板も含めて京大らしさ。生まれた時からある当然の風景」と話す。
正直なところ、「京大生」としてはよく言ってくれたと思う。そうなのだ。これなのだ。
タテカンのない京大なんて、ツマラナイのだ。
タテカンとラスコー洞窟
さて、ここでタイトルのラスコー洞窟が出てくる。
ラスコー洞窟をご存知だろうか?この洞窟は、フランスの西南部ドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の丘の上に位置する洞窟である。先史時代の洞窟壁画で有名である。
この写真を見たことのある人は多いのではないだろうか?
写真はWikipedia より
さて、この壁画であるが、実際になぜ書かれたかということは未だわかっていない。狩りの様子を後世に伝えるためだとか、お祭りの様子を記しているとか色々な説が出ているが、どれも憶測に過ぎないし、理由を正確に突き止めるのは不可能だそうだ。
というのも、現代人の思考や思想を持ってして古代の考え方を理解しようとするために、どうしても読み違いや考え違いが起きてしまうことがあるらしいからである。
さて、ではなぜこのような「ラスコー洞窟」を引っ張ってきたかというと、どうも僕にはこの洞窟の壁画がただの落書きにしか思えてならないからである。色々ありがたがっている壁画とはいえ、おそらく書いた人もそこまで意識した訳でもないのではないか? ただなんとなく、”かけちゃったから描いた” という絵も中にはあるのではないかと思う。
看板も、多分おんなじだ。と思う。多分、1,000年とか、10,000年後の人類が京大のタテカンを見たら、当時の人類を知る貴重な財産だとか言ってありがたがるのだ。きっとその頃には、「市の景観」として保存されるのはタテカンの方なんじゃないかって思う。
だからなんだというわけでもない。タテカンは木でできているので100年ももつわけないし、別にタテカンの博物館を作って欲しいわけでもない。でも、むやみやたらに「市の景観」を掲げ、誰かにとって価値のあるものを撤去しようという姿勢はどうなのだろう?という疑問を投げかけてみたいのだ。
これからのタテカン
タテカンが京大の周辺を彩るようになってから、およそ50年がたった。明日、立て看板が撤去されるかもしれない。
先輩たちが作り上げてきたこの伝統というかしがらみというかは、ここで途絶えてしまうかもしれない。
僕にはこれを止める義務も、権利もない。でも…声をあげてみることくらいはできると、証明してみたかった。
水清ければ魚棲まず。水清ければ大魚なし。同じように、京都大学にタテカンなければ、自由なのびのびとした人はいなくなってはしまいか。不安である。
さて、ここまでは僕の主張。この内容に賛成、反対の人がいるかと思う。賛成の方はシェアを!反対の方はぜひ反対の意見をこの場で明言してみて欲しい。それこそこの記事がカオスな論争で埋め尽くされるのであれば、願ったり叶ったりである。
「京大よ、自由であれ」
良い言葉だ
景観とは何か
文化とは何か
神社仏閣や町家だけが京都の景観ではない
多面的なところこそが京都の文化なのだ
昨今の取り締りは観光客の為の役所によるテーマパーク作り
真の文化とはその場所で生活する人達によって自然と根付き育まれるもの
寺も町家も祇園祭も皮肉も京大も京大のタテカンも全て京都の文化だ
嘘偽りのない清き京大の景観をなくすことは
ファイブポインツから落書きをなくす事や(老朽化で取り壊されたが)
秋葉原からアニキャラ看板をなくす事と同じだ
早急に条例を緩和し
タテカン文化を守り抜いてほしい