日本の伝統芸能の中で、特にとっつきにくいのが「能楽」ではないでしょうか?歌舞伎や落語ならまだしも、能や狂言ってどうしても敬遠してしまいがちな気がします。
実は、僕もちょっと前まではそう思っていたのですが、知識をつけるととても面白く、今では3ヶ月に1回くらいは能楽堂に足を運ぶようになりました。
そこで、この記事では能と狂言の違いやそれぞれの歴史などについて詳しく解説していきたいと思います。
最終的に理解して欲しいポイントを先に書いておくと、
能は日本の伝統的なオペラのようなもの
狂言は伝統的なコントのようなもの
と言うことだけです。
目次 (クリックでジャンプ)
能楽と、能・狂言の比較
さて、ではまずは「能楽」と言うものについて説明していきたいと思います。能楽とは、ズバリ一言で言うと「能 + 狂言」のことです。
能楽 = 能 + 狂言
能楽とは、次のような芸能のことです。
能楽(のうがく)は、日本の伝統芸能であり、式三番(翁)を含む能と狂言とを包含する総称である
wikipedia 『能楽』より
重要無形文化財、ユネスコの無形文化遺産に認定されています。能と狂言という2つの異なった要素を持った演劇を同じ日に上映する演劇を能楽というそうです。
なぜ同じ日に上映するのかはあとでまた話しますが、一言で言うと「オペラ(能)だけではピシっとしすぎ、コント(能)だけではユルっとしすぎ」と言う感じです。どちらもやることでテンションをうまく保つことができるのです。
能も狂言も、元々は同じものだった?
能も狂言も、元々は散学(さんがく)と言う中国の唐から伝わったものに起因しています。
この散学を伝統的に発展させたものが最初は「猿楽」です。この猿楽は平安時代ごろからあり、曲芸や軽業、モノマネなどいろいろなことをする幅の広い芸術でした。今でいう、サーカスみたいなものです。
やがて、このサーカスがそれぞれに分離を始め、コミカルな面白さが狂言に、そしてドラマ性が能に別れました。
しかし、これらはもともと同じ芸術から派生したので同じ日に上映するようになりました。これが能楽の始まりと言われています。
能と狂言の簡単な違いについて
では、だいたいどんな違いがあるのかを表にまとめてみました。それぞれの詳しい解説はあとでするとして、ここではざっくりと説明します。
能 | 違い | 狂言 |
---|---|---|
霊・歴史上の人物 | 主人公 | 一般的な人 |
武士・貴族 | お客さん | 町人 |
幽玄 | 大切なもの | 笑い |
90min くらい | 上演時間 | 20min くらい |
「~ で候(そうろう)」 | 文体 | 「~ でござる」 . |
世阿弥・足利義満 | 発展させた人 | 無し |
それでは、ここからは「能」と「狂言」それぞれについて詳しくみていきたいと思います。
能は日本の伝統的なオペラのようなもの
最初にも言った通り能は日本の伝統的なオペラのようなものです。それはなぜかというと音楽・歌や演劇、それに衣装などが織りなす総合芸術だからです。
能の歴史的背景
少し詳しく能の歴史を見ていきましょう。能は猿楽からシリアス的な要素が抽出され、その後かの有名な「観阿弥・世阿弥」により大成されます。(この影響もあり、観阿弥・世阿弥の流派、「観世流」は今でも日本の一大流派です。)
そしてその後、足利義満などに高く評価され、伝統的な地位を確立しました。その後は江戸時代を通じて武士などに親しまれ、「武士の芸能」とまで言われるようになりました。
歴史上の人物や幽霊などが主人公
能にはストーリーがありますが、それは大きく分けて2つです。
1つは、歴史上の人物が主人公の物語です。源義経や小野小町などおなじみの歴史的な人物が登場することもあります。(こちらは専門用語で「現在能」と呼ばれます)
そしてもう1つのストーリーは亡霊や神など「この世のものでない」ものが主人公の物語です。(他方でこちらは「夢幻能」と呼ばれています)
有名な能面をつけている人はだいたい「この世のものでない」化け物のことが多いです。
楽器は「大鼓・太鼓・小鼓・笛」
能では、大鼓・太鼓・小鼓・笛の4つの楽器が使われます。これらを合わせて「四拍子」と言います。
これらの楽器の音色は単に音楽を奏でるというだけでなく、舞台上のリズムを作ったり雰囲気を作る上で重要な役割を担っています。
注意して欲しいのは、歌舞伎や落語と違って「三味線」が入らないことです。三味線は能が大成してから日本に入ってきたものだったので、新しく加えられることはありませんでした。
覚えておきたいテーマ「幽玄」
幽玄とは、世阿弥が能をほかの芸術と区別する世界として価値付けをする、いわばブランド・イメージとして発信したものです。
ことさら当芸において、幽玄の風体第一とせり。(能では、幽玄の姿であることが、第一に大事なことである。)
これは世阿弥の言葉で、この幽玄というテーマを理解できれば能はより面白く鑑賞できると思います。
では幽玄とはどのような概念かというと、ひとことで表すと「趣が深く味わいが尽きないこと。」とされています。ここでは長くなるのでこれ以上は解説はしませんが、もしきになる人がいれば自分で調べてみてください!
狂言は伝統的なコントのようなもの
狂言は「日常のおかしさ」を強調して演じているのが特徴です。これは今でいうところの吉本新喜劇のようなものといえるでしょう。
狂言は庶民の娯楽?
狂言は基本的には庶民の娯楽だったと言えます。特に能が武士などに親しまれたのに対して、わかりやすく面白い狂言は一般庶民に広く親しまれました。
また、登場人物も一般的な人物であることが多く、太郎冠者(大名の従者)や名前のない庶民などが活躍します。文体も「~でござる」という日常的なものとなっています。
笑いの芸術とも
このような性格からか、狂言は「笑いの芸術」とも言われます。実際に能楽堂で行われれる狂言の演目中もクスクスと笑いが起こります。
また、能は歌がわかりにくかったりするのですが、狂言は感覚的に「わかり」ます。加えてお面をつけないので演者の表情なども見ることができてとても楽しいものになっています。
まとめ
この記事の内容を簡単にまとめたいと思います。
- 能は日本の伝統的なオペラのようなもの
- 世阿弥が大成し、武士に楽しまれてきた
- 幽霊や神などが登場する幽玄な世界を演じる
- 狂言は伝統的なコントのようなもの
- 昔から庶民の娯楽として楽しまれてきた
- 現在では「笑いの芸術」として知られる
最初はとっつきにくいところが多いかもしれませんが、よく知らなくても実際に行ってみると楽しめると思うので少しでも興味のある人はぜひ能楽堂などに足を運んでみてください!