「勉強するのが怖いです…」という高校生からの質問に京大生が全力で答えてみる

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いぶき
初めまして。ブロガーのいぶきと言います。

 

このブログを書いていると、いろんな人からお便りがくるのですが、その中に、こんな感じのお便りがありました。

 

頂いたメール

自分は、今まで一心不乱に勉強をしていました。それは、勉強をすれば将来が楽になると言われてきたからです。

でも、最近は勉強をすればするほど辛くなっていく気がします。

勉強すれば、責任ややることが増えたり、どんどんキツい方向に行ってしまうのではないでしょうか?

[…]

勉強が、怖いです。

(メールの一部を僕なりに解釈してまとめました)

 

これに対して、僕なりに真剣に考えた結果、なんと6,000 字くらいの返信になってしまいました。(長くなってごめんなさい…泣)

 

同じような不安を抱えている人は多いと思ったので、それを多少改変して記事にしてみました。

ぜひ参考にしてみてください!

 

メールいただいた人に「記事にして良いですか?」と確認をとったのですが、返信がなかったので、”質問の答えそのまま” を載せた訳ではありませんが、大意は伝わると思います。

そうなんだよなぁ…って思ってます

まずは、お問い合わせありがとうございます。メール読ませて頂いて、

いぶき
これは大変な質問が来たぞ…

と思いました。

 

力のかぎり、僕に言えること、僕が考えたことを文章にしてみようと思いますが、なにぶん答えのなさそうな問いなので、「こんな意見もあるんだなぁ…」くらいのテンションで受け取っていただけると幸いです。

さて、それでは書いていきたいと思います。(思ったより長くなってしまいした…)

 

(勉強が怖いと) メールで言われていること、とてもよくわかります。

 

いぶき
僕も似たようなことを思っていた時期がありました。

 

中学校では、「高校に入学したら遊べるから!」と騙されて必死に勉強し、高校になったら、「大学で遊びなさい!」と脅されて受験をしました。

それでいま、実際に大学で遊べているかというと、ご想像の通りそんなことはありません。(遊べている人もいますが… 大学で遊びたいなら、理系に来てはいけません。)

 

毎日の課題は難しく、実験レポートは深夜までかかることもありました。

そしてぶっちゃけた話、僕はなんとなく「京大に行けばモテるんだろうなぁ…」と思って勉強していましたが、高校よりも女子と喋る機会が減ってしまっています。

 

だから、今、まさにその「どんどん辛くなっている」状況とも言えます。

ちなみに、仮に大学生活をエンジョイしようとしても、結局のところそれは長くて3年間くらいで、そのあとは就職やら何やらで忙しくなってしまいます。(その意味では、文系の方が厳しかったりします。)

 

勉強すれば将来が楽になる…?

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そもそも、勉強をすれば将来が楽になる!というのも少し怪しい気がします。

この「将来安定した人生が送れる説」はよく言われていて、大学に入学するまでは僕もそう信じていたのですが、最近では日本企業の中でも「終身雇用がオワコン」になっています。

 

確かに、おそらくいい大学に入れば年収も安定するし、いわゆる “いい生活” を送ることができる可能性は上がるのですが、それが一番コスパがいいかと言えば、そんなことはないんじゃないかなという意見にも納得できます。

いぶき
例えば、最近はプログラミングとかが流行りですよね!

 

だから、大学受験に青春を全振りするのは「将来を安定させるのにそこそこ確からしい」方法、という程度のものなんじゃないかなぁ…と考えています。

 

では、なんで勉強をするのでしょうか?

 

しかも、貴重な、ほんとうに貴重な青春時代を削って!?

 

と、このことは、僕は大学に入ってずっと疑問に思っていました。

というのも、大学に入ったら 目指すべき “次” がないので(もちろん就活はありますが)、勉強する理由が何かわからなくなってしまったのです。

 

ぶっちゃけ、青春をエンジョイしたければ適当にサークル活動に勤しんでワイワイしていれば楽しいし、大学院に行かずに就職してしまった方が年収は安定すると思います。

ただ、ではなぜ自分は “どんどん苦しい方向に進んでいる” のか?

 

そのことを考えるために、僕は哲学の勉強を始めました。(←おそらく、こういうところがダメなんだと思います)

それで、今は「勉強」をすることについて、以下のような考えを持つに至りました。半分以上がどこかの書籍の受け売りだったりするのと、ここでいう「勉強」は受験勉強とはちょっと違うので、その辺りのことはもう少し後で触れます。(ほんとうに長くなってごめんなさい…)

 

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なぜ “勉強” をするのか?

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基本的に、これからの話は最近読んだ『勉強の哲学』(千葉雅也) の考えが強くにじみ出ています。(東大・京大で一番読まれている本、と言われていて、とてもおすすめです!)

 

僕は、勉強することの目的を次の2つと考えています。

  1. 世界の解像度を上げる
  2. “自由” に生きる

 

1. 世界の解像度を上げる

私たちが世界を見るとき、実は自分が見たいように、または自分の見えるように見ています。

いぶき
んー、ちょっと難しいですね…

例えをあげたいと思います。

 

質問者さんは、「雪」の形状や降りかた・積もり方についてどのくらいの言葉を知っているでしょうか?

さっと思いつくのだと

  • ひょう
  • あられ
  • みぞれ

とかじゃないかなぁと思います。そして、もう少しマニアックなものになると

  • 細雪
  • 粉雪
  • 淡雪

なんかは聞いたことがあったりするんじゃないでしょうか?

まぁ、多くても10つくらいだと思います。

 

次にカナダの女流作家マーガレット・アトウッドのこの言葉を引いてみたいと思います。

“The Eskimos had fifty-two names for snow.”

イヌイット は雪をあらわす52の呼び名を持っていた。

これが意味するところは、イヌイットの人は私たちが「あ、雪が降っている!」というような時でも「なんとかスノー」のようにたくさんの言葉で表現することができるということです。

 

つまり、この時、イヌイットには、私たちが見ている世界とは違った世界が見えている、と言えます。

こんな感じで、私たちにはものの “見方” が、(生得的なもの、習得したものを含めて) 備わっています。

 

これらを補完したり、アップデートしたりするためにするのが “勉強” というわけです。

これは、

  • 新しいものの見方を身につける
  • 思考のフレームワークを身につける

などにも対応します。

 

個人的な話をすれば、この前紅茶を淹れた時に、お茶の色が徐々にじわーっと広がる様子を見て「あ、拡散方程式だ!」と思いました。

(もし高校生の時の僕なら、ただなんとなくぼーっと見つめていたことでしょう。)

 

勉強をしている人としていない人では、ものの見方がだいぶ異なることは明らかです。

より広く、より深く、時にはメタ的な視点を持つことができる、というのが勉強をする大きな目標の1つではないかと考えています。

 

2. “自由” に生きる (不自由に自覚的に生きる)

さて、では “世界の解像度を上げてどうするのか?” といえば、次に大切になってくるのは “自由に生きる” ということだと思います。

これはよくある「将来のために選択肢を多く持つ」とは似ている部分はあるものの、ちょっと違う意味を持ちます。

 

ここでの自由とは、権力や自分を押さえつけるものからの “自由” を指しています。

僕の大好きな漫画、ドラゴン桜で担任の桜木先生がこんなセリフを口にします。

社会のルールは賢いやつが作っている。だから、賢いやつの都合のいいルールが作られている

『ドラゴン桜』 1巻

これなんかはわかりやすいですよね。

 

国や社会のルールなんてものは、頭のいい人たちが作っています。

なので、例えば「アホにはわからないように、うまく税金を取ろう…」なんてことが、普通に起こりうるのです。

 

世の中、このような状況はいたるところであるんじゃないかと思います。

例えば最近のタピオカブームなどを見ていると、僕はどうしても「広告やマーケテイングに買わされてしまっているのではないだろうか?」と考えてしまうことがあります。

 

また、「青春は恋人がいれば勝ち組」みたいな発想も、実は勉強をしない人が作り上げた僻みの結果なのではないか、なんてことも考えられます。(流石にそんなことはないと思いますが…)

 

だから、質問をもらった “将来が楽になる” ことや “厳しい壁に当たる” ことというのはほんとうに良いこと・悪いことなのだろうか、と考え直してみる必要があると思います。

そして、そのためには 1. で言ったように、「高い解像度で世界を見る」ことが欠かせないと考えています。

 

先ほど挙げた千葉雅也の『勉強の哲学』では、このようにしてまず自分の環境を知り、そしてそのノリから別のノリへと移動することが “勉強” だと述べています。

多くの人は無自覚ですが、ある種 “環境のノリ” に捕らえられた人は自分の人生を自由に生きているかといえば、そういえない場面も多くあります。

 

結論としては、やはり “自由” になるために勉強をするんじゃないかなぁ、と思います。

( (不自由に自覚的になる)というのは、ある環境の規範から自由になろうとしても、それはまた別の規範に捕らえられる、という意味です。)

 

結局どうするのか、という話

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いぶき
長い、長すぎるぜ… (なお、ここまでで3,000 字超)

以上のポイントをまとめると、

 

なぜ勉強するのかといえば

  1. 世界に対しての解像度を上げる
  2. それによって自由になる

ということなのですが…

 

ここまで勢いで「なぜ勉強するのか」を書いてきて、すっかり「勉強するのが怖い」ということについて触れてきていなかったのでそれについてここから (わりかしサッと) 書いてみます。

 

『勉強の哲学』において、千葉雅也 は “勉強とは、自己破壊である” と述べています。

今までの自分とは違う “ノリ” になること、そうしたことには根源的に恐怖が付きまとうものだと。

 

これはとても本質的な言葉だと思うのでぜひ覚えておいて欲しいのですが、これは勉強一般の話なので、ちょっとズレている気もします。

翻って高校受験の勉強はどうかというと、おそらく質問者さんのいう “恐怖” とはそういう類のものではないんじゃないかなと思います。

 

ここでいう恐怖とは、

  • 勉強をして将来のプラスになるのかどうか?
  • そして、それは今犠牲にしている青春と比べてどれくらいのプラスになるのか?
  • そのことと、どうやって向き合っていけば良いのか?

みたいなことなんじゃないかなぁ、と想像しています。

 

これについて、解決(?) というか、僕に言えることは次の3つです。

  1. “プラス” という意味を捉えなおす
  2. 暇つぶしとして勉強する
  3. 諦める

 

いぶき
ここからが、実質的な質問の回答になります!

 

プラスという意味を捉えなおす

まず、一番に言えることは、人生にとってプラスというのは何か?ということを考えてみることだと思います。

先ほどの「なぜ勉強するのか?」で挙げたように、“将来が楽になる” ことや “厳しい壁に当たる” ことというの良し悪しを、もっと広い、メタな視点で捉えてみることだと思います。

 

さらにいえば、自分がやりたいと思っていること、いいなと思っていることを、徹底的に問い直してみることが大切なのではと考えています。

 

普段、当たり前に “良い” と思っている

  • 高校生活できゃっきゃうふふの青春を送ること
  • 今、勉強をすること
  • 楽に生活すること、お金を稼ぐこと

こうしたことに対して、疑ってみたり、問い直してみることが非常に大切で、そして唯一の道なのではないかなぁと思います。

 

そして、答えが出たら、とりあえずその方向に対して何らかのアクションを取ってみて、失敗してを繰り返すことが大切なのではないでしょうか?

現に(これは彼らが意図してやっているのかはわかりませんが)、京大生の何割かの人は勉強をするのを辞めています。

他の大学を見れば比率はもっと高いかもしれません。

 

これは、彼らなりに 自分にとって何がプラスか、という意味を捉え直し、“勉強” に対しての態度を変えたことだと理解することもできます。

“辞める”なら、自分でそのように決断できるようになることも、大切なことです。(その決断する自分というのも、また疑ってみる必要がありますが…)

 

暇つぶしに勉強する

と、かっこいいことを言ってみたはいいものの、上のようなことをいうと、だいたいこういう反応が返ってきがちです。

ケメ子
高校生に、そういうことができるのか?

この質問に対する僕の答えは、「答えは出なくとも、問いを立てることはできる」です。

 

高校生にも、仮に答えは出なくても、おそらく “自分にとってプラスになることは何なのだろうか?” という問いを持ちながら日々を生きることはできると思います。

そして、この答えを探しながら、暇つぶしに勉強するのが良い姿勢なのではないかな、というのが僕の最終的な回答になります。

  • 価値観を疑いながら
  • 勉強する

その過程でもし青春をしたくなったら、まぁやってみる。(そのやり方は僕じゃなくて、青春をエンジョイした人に聞いてください…)

 

勉強が辛いなぁと思ったら辞められるくらい、勉強をする。(逆説的ですが…)

 

そして、それがまだわからないな、と思ったらその答えを探すために、またいつか見つかるだろうなぁと思いながら勉強する。

これが自分に対しての真摯な態度になると考えています。

 

諦める

一応、今回の質問の回答をまとめると、

 

勉強することによって将来が楽になるのではなくってきつくなっていくのでは、という恐怖心を払拭する考え

に対しては、

  • 何が楽で何がきついのか、ということを考えてみる
  • それを考えるために、または答えが見つかるまで勉強してみる

ということになります。

 

この “勉強” というのは、英語や数学などの受験で使うような科目に加えて、「なぜ勉強するのか?」でも触れたような、価値観を捉えなおすようなものも含みます。

さて、これを一言でまとめるとどうなるかというと…

諦める

となります。

 

ここまでこの文章を読んで頂いたらわかると思うのですが、勉強すること、そしてその恐怖心ことから、僕も未だに逃れられていません。

これから先、10年、20年経っても逃げられないのではないか、と思います。

 

だから、有限性を引き受ける。

 

”勉強する” という無限の意味を持つものに対して、有限である “私” がそれを引き受けるためには、どこかで諦めなければなりません。

恐怖心は、いつまでも続くものです。

 

それを「そういうものなんだ。むしろ恐怖を感じていることこそ、私が勉強をしていることの証なんだ」と思いながら勉強を進めることが一番の気休め (そしてそれは本質的な意味での勉強との付き合い方) になるのではないかと思います。

 

最後に:勉強の怖さは消えない

以上が、質問に対して、僕が書いた内容の、骨子みたいなものです。

メールを見た瞬間に、「選択肢が増えるから!」みたいなありきたりでそれっぽいことも思いついたのですが、それではむしろ失礼なのかな…と思ったので、僕が普段考えているようなことをなんとか文章にしてみようと思ったら、こんなに長くなってしまいました。汗

 

僕は質問者さんのように、高校時代にこのような問いを思いつくこともなく、ただ盲目的に勉強(ここでいう勉強は受験勉強です) をしていたので、単純に高校生でこういうことを考える人はどんな人なのかな…と想像しながら色々書きました。

 

色んなことを書いてきましたが、この文章が質問者さんが、そしてこの記事を読んでくれた人が、少しでも何かを考えるきっかけになったり、ならなかったりしたら幸いです。

 

いぶき
以上♫






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